PROJECT 1

リングギア製造に革命を起こせ!~ベンダ工法誕生~

ベンダ工法確立までの道のり。技術への挑戦は終わらない。

「鉄を曲げる」。創業者である八代一芳が、最初に鋼材の曲げ加工に興味を持ったきっかけは、ヨーロッパの設備展示会だった。1959年ごろ、広島商工会議所主催のヨーロッパ視察旅行で、現地の設備展示会を訪れた際、目にしたのがアングルベンダー。冷間曲げの加工に使う機械に強い興味を示し、写真に収めている。 その後、八代機材商会が倒産し、ベンダ工業を立ち上げるにあたり、社名に「ベンダ(曲げる、を意味する英語 bend)」を用いたのは、曲げ加工で再起を図る一芳の並み並みならぬ決意が込められていた。ベンダ工業では「世界の鉄を曲げてやる」の言葉通り、様々な要望の曲げ加工に挑戦。ダムの水門の開閉扉、回転展望レストラン、パイプライン、橋脚ガイドリング、トンネル支保工、歩道橋など、冷間曲げ加工、一般曲げ加工を幅広く手掛けた経験は、ベンダ工法を開発する際の礎となった。

契機

ベンダ工法

契機となったのは、ある自動車メーカーからの依頼。リングギアを冷間曲げ加工で大量生産できないか、という要望で、一芳が考案したのが、角鋼材を冷間曲げ加工し、溶接するという方法だった。まずは、鉄の丸棒材を角断面になるように圧延し、それをローラーで丸めて螺旋状に巻いていく。このとき、螺旋に巻いた鋼材の外径と内径の伸び率の違いから断面が台形になり、均一に巻きとれない問題が発生。すぐに逆計算で異形材料を考案した。螺旋状に巻き終えた鋼材は側面を縦に切断すると、切れたリングが大量にできる。その切断面を溶接すればリングができあがるのだが、単に鋼材を溶接して繋ぐだけでは溶接強度が足りず、リングが真円にならない。 この問題を解決するため試行錯誤を重ね、たどり着いたのが、リングを切断したときに端と端をオーバーラップさせる方法だった。金属の弾性応力を活用し螺旋状に巻いた鋼材を、螺旋の内径よりわずかに太い芯金に通しリングを押し広げてから切断するのだ。芯金を外すと、いったん広がったリングが元の形状に戻り、内径が少し小さくなる。端の部分がわずかにオーパーラップするので、そこを溶かしながら溶接し、平らなリングにする。考えに考え続け、一芳がこの方法を思いついたのは、就寝中の夜中の2時。夢の中でヒントがひらめいた。たたき起こされた公治と行雄は眠い目をこすりながらメモを取った。翌朝、治具メーカーに相談し、装置を製作したのは一芳だった。依頼から半年をかけて一芳が考案した工法は、最終的に依頼先以外の自動車メーカーに採用されたが、量産化が決定した。

挑戦

量産開始に伴い、リングの形状にしていく過程で必要なべンディングマシン、カッティングマシン、トリミングマシンなどの設備も自社で設計。設備も機械も完成したら終わりではない。動かし、使いこなしてこそ生産性は上がる。機械の精度を上げるため、失敗を繰り返しては膨大なデータを取り、調整方法を模索したのが公治である。このデータのおかげで、様々な条件の曲げにも対応できる方程式を完成することができた。また、設備の自動化、標準化に携わってきたのも公治である。手動での切断や溶接、手作業を15〜30年続けてきた経験があったからこそ、いかに作業時の無駄をなくし、高効率に作業するかを常に考え、設備の改善、標準化を図ってきた。例えば、本社工場で2007年11月に開発された新工法切断機は、サイズ違いの2種類のコイル材を同時に切断。2つの切断治具の軸それぞれにコイル材を4段重ねにし、2種類を同時に切断できるため、200%の生産性アップを実現した。大型切断機も新工法によって治具が不要になり、大幅なコスト低減となった。ベンダ鮮光では、金貞漢代表理事が溶接の半自動装置を開発。その功績も忘れてはならない。100%人に依存した手作業の溶接を自動化。作業者の熟練度で生産性や品質に差が生じ、作業負担も大きいという課題を改善し、製品の生産効率、品質とも向上させた。ベンダ工法は量産化の過程でよりブラッシュアップされ、様々な工夫が結集して確立した工法である。

ベンダ工法の開発時、大鹿守が苦労したのが、曲げの作業だ。圧延材を曲げ、螺旋状に巻き重ねようとすると、バネのように伸びてしまう。バネにならないように曲げるには、と試行錯誤した結果、たどり着いたのが、レベル調整の座金である。鉄を曲げるときの応力を利用し、曲げ加工のときにこの座金をかませるだけで、バネ状になるのを防ぐことができた。こうして誕生したのが「大鹿座金」である。思いついたらすぐに形にしてしまう大鹿に対し、計算が得意で、寸法を計算するとすぐ図面に落とし込むのが山根孝(元、技術顧問)だ。「ひらめきを実行する力があれば、必ず見えてくるものがある」と山根は言う。一芳の命で、設備にのっとった治具の設計をしてきたが、後に治具なしで加工できる設備の開発にも携わった。ベンダ工法では「最初の工程がとても大事。前工程がきちんとしていないと、次の工程にもそれが影響する」と語る。

引き継ぐべきは、技術と精神

ベンダ工法は「特許が切れても簡単にはまねできない技術」と言ったのは、発明した一芳であるが、その独自性は、ベンダ工業や海外グループの匠たちによる日々の改善改良により、さらに磨き上げられてきた。まさに「ベンダ工法は一日にしてならず」。最初は手動の設備を使い、手作業で行われてきた工程を日々、機械と向き合い、製造技術にあくなき関心を寄せ続けることで、効率化を図り改善してきたのだ。海外でもベンダ工法を継承するため、韓国、青島、インドの拠点へ公治、大鹿、山根が向かい、技術指導を続けてきた。インドでは水や食事が合わず体調を崩しながらも、それを乗り越え、指導を行ったことを公治が振り返る。引き継ぐべきは、その技術だけでなく、失敗を繰り返しながらも途中で投げ出さず、全員で可能性を追い求めるものづくりの精神。「改善に終わりはない」と言う公治の言葉通り、現状に満足することなく、より良くするための工夫と努力を重ねていけば、また新たな技術や可能性が生まれ、ベンダグループに大きな飛躍をもたらすであろう。